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Being John Malkovich

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/5/55/Being_John_Malkovich_poster.jpg

全体:☆☆☆☆☆

ストーリー:☆☆☆☆☆

音楽:☆☆☆☆

映像:☆☆☆☆☆

クレイグは人形師。ニューヨークで夢を追いかけているが、そう簡単にブレイクもせず、妻のロッテに頼り切りの生活をしていた。

クレイグは意を決してオフィスのファイリングの仕事を始める。そのオフィスはなんとも奇妙で、「71/2階」に存在する。天井は酷く低い。彼はそこで勤務中に、謎の小さな扉を発見する。穴に入ると、なんと彼は「ジョン・マルコヴィッチ」という男の意識の中に居た。15分間だけ、彼の意識の中に潜り込めるのだ。

彼はそれをマキシンという女性と共に商売を始める。しかし、この穴が次第に彼らの人生を少しずつ狂わせていく。

 

一言で言うなら、既視感のない映画だった。内容は、ローファンタジーの分野。

でも、なんだろう。ただのローファンタジーとも違う、人間臭さと現実臭さがあってそれが、とってもナチュラルにファンタジー要素と混ざり合っているような感じ。

ジャンルとしては、エターナル・サンシャインを更に良くしたかんじ。エターナル・サンシャインがイチゴ潰して牛乳かけたやつなら、マルコヴィッチの穴は紙パックに入ってるイチゴミルクってかんじ。それか、前者が紅茶にフレッシュ入れたミルクティーで、後者がロイヤルミルクティー。意味分からない。

正直こんなに夢中になった映画初めてだった。終わったあと、自分がリビングのソファに座っていることが不思議な気分になるくらい、のめり込んだ。

もちろんファンタジーとかで夢中になることってあるけれど、ファンタジーは自分の全く違う世界観に憧れて夢中になっていくものなのに、この映画は違う。自分の欲望とか、人間としての価値とかそういう部分に直接触れてくる。

 

物語全体に「自分とはなんなのか」と、「人間の欲望」みたいなのが根底にずっと流れ続ける作品。特に前者については本当にかき乱されるというか。いい意味で、観ている側に問いかけてくる。

例えばクレイグは、マルコヴィッチになりすましたあと、クレイグの時やっていた人形劇を「マルコヴィッチ」の姿でやることによって、大ブレイクする。特にこれについて触れられはしないけど、かなり虚しいことだなとも思う。また、マキシンは「クレイグ」なら駄目だけど、「マルコヴィッチのクレイグ」なら大丈夫だったりとか、マキシン自体非常にがめつい女性で、「儲ける」っていう欲望のもとで動いていたわけだけど、最後には自分の行いを後悔し、愛に走ったりする。結局、人は何を観て感じて行動し判断しているのか。っていう、曖昧な部分にダイレクトに語りかけてくる。凄く難しいテーマでありながら、普段触れ合うことのできない思考に向きあわせてくれている。

自分にとって何より衝撃的かつ、興奮を覚えたのはロッテについてのエピソードだった。女性でありながらマルコヴィッチになることで、彼女は「男として女を見る・見られる」という、本来し得ない体験をすることになる。正直に書きたいと思うが、私はロッテがマルコヴィッチになって、マキシンとファックしているシーンに興奮を覚えた。私はジェンダーに問題のある人間なのでこの興奮を覚えるのは全ての人では無いと思うけれど、それだけに男と女の間には「差」がある。この差や、男女関係の理を当然だと思ったり、形骸化している世の中に投石をしているように受け取れた。最終的に、ロッテとマキシンがレズビアンのカップルとなって幸せに過ごしている姿がその証拠かと思う。見えているものと、この世にある常識が全てではない。という、鋭い切り口を持つメッセージが読み取れた。

エンドロールでBjorkのAmphibianが流れてきた時には、もう何も文句は言えない映画だと思った。何もかも新しい感動と興奮、意識を与えられた。今まで観た映画の中でも5本指の中に入る面白さだと、ハッキリ言える。

エターナル・サンシャインの記録↓

itkti.hatenablog.com

 

追記・エターナル・サンシャインマルコヴィッチの穴の脚本は、同じ人。
Charlie Kaufman。